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山間の海軍施設、鶉野飛行場跡 その2

[山間の海軍施設、鶉野飛行場跡 その2]
前回のあらすじ。

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姫路海軍航空隊、鶉野飛行場跡にやってきました。

今回は一番目立つ滑走路跡を離れ、周辺の遺構を探索したいと思います。

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とは言え周辺の遺構について記されているのは祈念碑横にあったこの地図のみ。
若干抽象的な書き方だしこれで分かるかな…

とりあえずこの場所から一番近そうな、滑走路北西の機銃座に行ってみましょう。

 

 

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どう見ても池しかねえな…

確かに地図に書いてあった通りの場所に来てみたのですが、池しかありません。
場所を間違えているのか、はたまたこの池が機銃座の成れの果てなのか…

考えあぐねても仕方ないので次の場所へ向かうとしま…

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…ん、よく見たら池の横に柵で囲まれた気になる場所がありますよ?
早速向かってみましょう。

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あった!ありましたよ機銃座!
これは間違いなさそうです。しかもかなり綺麗に清掃されていました。

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機銃部と外を結ぶ地下通路もはっきりと現存。
ただ水が溜まっている為通行は不能でした。

この発見に俄然テンションも上がってきました。間髪居れず次の場所に参りましょう。

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しかし…この写真の通り奥の小高い部分が機銃座なんですが、そこへ向かう案内は全くなし。

手前にある田んぼのあぜ道を通って到達できる訳ですが、
あれだけ綺麗に整備してるなら看板くらい出してもバチは当たらないと思うんですけどねえ。

 

 

さておき、次は駐機場(エプロン)と、その横にある防空壕へ向かいます。

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次に向かった防空壕が規模も大きいらしく、今度はちゃんと案内もありました。

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案内通りに進むとここで左折の看板が。
そしてその後ろに広がっているコンクリート張りの空き地がエプロンですね。

そのエプロンを左手に見ながら少し進みますと

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なんとも立派な防空壕が姿を現しました。

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この防空壕はやはりこの辺りでは最大規模であったらしく、戦時中は指揮所としても利用されていたようです。
そして現在は当時の資料の展示室として利用されています。

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なお内部にあった資料によると、ここが展示室として整備されたのは2011年の事。
それまでは先ほどの機銃座通路のように水が溜まっていたようで、壁にはその跡がはっきりと残っています。

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ドーム上になった屋根は木の板張り。もしここまで水が来てたら復旧もまた難しかったかもなあ。

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内部の資料としてはやはり航空隊の基地と言う事で、戦闘機に関する資料が多数。
艦これでも一度はお世話になるであろう「彗星」「天山」の文字が見えます。

しかしながらその天山の横に書いてある『特攻』の文字が示すとおり、
戦争末期にこの飛行場を飛び立った戦闘機は、その殆どが二度と帰ることの無い戦闘へと赴いています。

その為資料の脇には、最期の飛行となる乗組員達の辞世の句もありましたが…身につまされる思いがしましたね。

 

 

また別の場所に目をやりますと…

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お、ヒャッハーさん隼鷹さんの表記がありますよ?

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見ればこの基地を設営するのに、当時修理中だった隼鷹の乗組員も参加していたようです。
いやあ、艦娘として見知った軍艦の名前がこうして出てくるのは気分が高揚します。

 

 

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あとこの展示室の中には、この周辺の調査内容をまとめた小冊子が置いてあります。
祈念碑の脇にあった地図もここに載ってました。

そして写真つきで割と詳しく載っており…もしかしたら初めにここへ来ていれば探索も楽だったかもしれんね。

 

 

とことで、ここから駅へ戻るまではこの資料を見ながら探索してみます。

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すると出てくる出てくる遺構の数々。

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行き際に見てきた怪しげなコンクリート製の建物や、謎の横穴も全て防空壕の跡でした。
資料一つでここまで探索の仕方が変わってくるとは…なんともはや。

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また驚いた事に素掘りの防空壕も未だ現存。
流石にこの先どうなるか分からないですが、これは貴重な代物なのではないでしょうか。

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別の場所ではもう一つ残されていた機銃座を発見。
こちらは草が生い茂っていましたが、その形はしっかりとどめています。

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なお使用されていたのは25mm連装機銃だったとの事。

 

 

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こうして発見の連続だった帰り道を経て、法華口駅に戻ってきたのでした。
当初は1~2時間程度の滞在で済ますつもりが、なんと4時間の滞在となりました。

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とことで帰りの粟生行に乗車して、この地を後にしました。
最後にこの時乗車した列車の運転士さんが美人な眼鏡さんだったと言う超重要情報を提供して、今回のお話は終了です。

 

 

で、感想を言うとすれば「もっとこの場所を売り出せばいいのに!」という所でしょうか。
特攻隊と言うような暗い一面もありますが、鹿児島の知覧とかは観光地の一部として展示館なども設置してますしね。

なんといっても戦後60年以上経ってここまで大規模に遺構が残っている場所もそう無いと思います。
北条鉄道的にも悪い話じゃないと思うんだけどなあ。

ただその遺構の殆どが私有地または神戸大学の敷地に隣接もしくはその中にあるので、その辺が難しいかな。
実際訪れた際はその辺を考慮する必要出てくる状況もありますので、その点はご注意ください。

 

 

とことで山間の海軍施設、鶉野飛行場のお話でした。
…とりあえずこの飛行場を設営するのにお世話になった隼鷹さんと仲良くなってきますね!ヒャッハー!

 

[参考リンク]
山間の海軍施設、鶉野飛行場跡 その1
観光 鶉野飛行場跡 加西市
北条鉄道株式会社

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