[福知山線と113系]
1986年11月、113系は福知山線の全線電化に合わせて投入されました。
当初投入された113系は初期型の0番台に耐寒改造を行った800番台。
登場時は黄色に青帯の塗装で、2両編成も存在しましたが、後に上写真の塗装に変更され、4両編成が基本となりました。
この113系は私が物心付いた時から慣れ親しんできましたが、特に利用が多かったのは大学生の頃。
大学へ行くために113系の快速に乗ることが多かったんですね。
この快速で時には友人と一緒になることもありましたが、どうにも会話が途切れがちになっていた事を思い出します。
…ええ、道場~宝塚のトンネル連続区間での走行音がとんでもなかったのですよ。
そんな113系800番台も2004年10月のダイヤ改正で引退。
ただしこのダイヤ改正では『だいせん』の廃止などもあり、実にひっそりと福知山線を去っていきました。
その後は京都総合運転所の113系がやってきました。JR西お得意の同形式による置き換えですね。
しかし、この運用は長く続きませんでした。
翌年4月に起こった福知山線脱線事故の影響で、福知山線にATS-P型が導入。
P型非対応であったこの113系は、福知山線からの撤退を余儀なくされたのです。
当然ながら、撤退により車両不足が発生。そこでその穴を補うべく投入されたのが
ATS-P型を装備した、113系です。
そしてこのP型装備の113系は急遽集められた事もあり、実に様々なバリエーションの編成が組まれました。
写真に収めているだけでも出るわ出るわ…
発端を考えますと楽しむべきでは無いのでしょうが、正直この時が113系を撮影していて一番楽しい時期でした。
その編成も次第にリニューアル車のみで統一されるようになり、現在まで福知山線で活躍してきました。
あ、一本だけこんな姿になった編成も居ましたね。
一方篠山口〜福知山の区間では編成の減車に伴い、2001年から二両での運用が可能な113系が投入されました。
そう、ごく一部で大人気のサンパチこと、113系3800番台です。
800番台のモハ+クモハユニットから改造されたこの形式、モハ側の先頭車化改造はあまりにも衝撃的でした。
最低限の改造で済ませた結果生まれた独特の先頭形状。
当初は異様に見えたその姿も、時が経つにつれて次第に福知山線の顔として認知されるに…
至ったんじゃないかなと私は思っておりますですよ、はい。
その3800番台も、想定よりは長い期間働いたものの2008年に223系5500番台と置き換わる形で引退。
福知山線を走る113系はリニューアル車で統一された4両・6両の編成のみとなり、主に朝夕の運用に就いています。
この現在の運用で個人的に良く乗るのは、この福知山行き最終列車。
楽しい旅行やイベントの後などで家に帰る列車と言うのは、何かと物寂しいことも多く。
そんな時にこの列車に乗る事で、最後にもう少しだけ旅情気分を楽しむことが出来たものです。
しかしそれも明日まで。
今回のダイヤ改正でこの113系も置き換えとなり、ついに福知山線から113系が撤退することになりました。
また同時に、大阪駅へ乗り入れる113系の定期列車もこれで消滅します。
今回も『日本海』や『きたぐに』の廃止がある為、おそらくひっそりと去っていくでしょう。
が、私としては物心付いたときからずっと走ってきた形式がついに居なくなるということで、感慨もひとしおです。
とことで、簡単ながらも改めて福知山線の113系を振り返ってみた次第です。
でも車両自体は引退しないだろうし、お疲れ様、というよりも新天地へ行っても頑張って、というほうが良いのかな。