[イベント海域完遂祈願…でも無いけど橿原神宮に行ってみた]
「台風でお盆休みを海外で過ごす人たちの予定が…」
と言う所まで聞いてテレビを消しました。なんだ盆休みって!なんなんだ!
さて今回は、先週行ってきた18きっぷ消化の旅。最近はちょっと無理してでも使わないと余って来るんよね…
18きっぷで延々遠出してた頃が懐かしい。
とことで、近鉄電車を使って橿原神宮まで行ってきました。
…あ!途中の高田まではJRで行ったから!ゼッタイ大丈夫!
橿原神宮への最寄り駅はここ、橿原神宮前駅。近鉄の橿原線と、吉野線・南大阪線が乗り入れています。
神宮前に相応しく、駅舎も神社建築に似せた立派な造り。第1回近畿の駅百選にも選定されました。
そしてここから歩く事10分弱で
橿原神宮に到着です。
境内は森に囲まれており、落ち着いた雰囲気。
天気がいまいちだった事もあるでしょうが、人手も少なく良い感じで散策が出来ました。
南神門。表参道から入るとここにたどり着きます。
門の右手には「紀元二千六百七十四年」の文字。
紀元表記は神武天皇の即位が基準。橿原神宮はその神武天皇が祀られています。
そうなると、当然艦内神社としての利用もあり。と言う事で、あの大和の艦内神社にもなっていたとか。
ソースは安心と信頼のNT氏なので安心だし信頼できる。NT氏は響。
またその流れでいえば、あのヒャッハー…じゃなくて隼鷹さんも元は「橿原丸」と言う客船として建造されていたという縁がありますね。
外拝殿。この奥には内拝殿があるのですが、近づけるのはこの外拝殿まで。
この建物の右手にはその年の干支の絵が奉納されています。
橿原神宮定番の構図であるらしい畝傍山との組み合わせ。
やはり定番だけあって、しっくりと収まります。
さて参拝も終えまして、このまま帰路に…着いても良かったんですが、さすがにこれでは記事にならない。
…?
あいや、たまには記事にしようと散策してる事もあってですね…
とことで、北の鳥居にワープ。
ここから入ると北参道を通って、先ほどの南神門とは正反対側にある、北神門にたどり着きます。
ただ、その北参道の途中に
こんなものがございまして。
この表記の通り、参道を外れて森の中へと進んでいきますと
この「若桜友苑」と言う場所にたどり着きます。
そしてこの苑内にありますのが先ほどの…
『航空母艦 瑞鶴之碑』です。
この若桜友苑は慰霊公苑として整備され、『甲飛十三期殉国之碑』と、先ほどの瑞鶴之碑が建てられています。
また、瑞鶴の碑の横には三角マストが建てられています。
さすがに当時付けていたものではなく、碑の建立の際に神戸の川崎重工から送られたレプリカだそうで。
これらの碑の他にも、苑内には旧海軍艦艇で使用されていたとされる錨(絆の錨)や、
戦時中に使われていた艦載機や潜水艦の説明板が設置されています。
兵器の説明については天山や彗星といったものから、いわゆる「アレ」なものまで記載されています。
生きて帰ってくる事が全く考えられていない構造。
こうした場所に来ようと思った動機はなんであれ、前の大戦で何があったのかを考える良い機会になりました。
一通り公苑を散策し、2つの碑に一礼してからこの場を後に。
様々な時代背景があって、この平和な現代に繋がります。
その上で今回は、橿原神宮で大和に力を貰い、そしてこの若桜友苑で瑞鶴に力を貰って進んで行こうと…
…思ったのですが、よく考えたら大和も瑞鶴もウチの艦隊には居ませんでした。
さてどうしよ。さっき試しでE-1行ったら1戦目で大破撤退したけど、どうしよ。
あ、まあそういうことでして…以上、橿原神宮、そして若桜友苑に行ってきた時のお話でした。
[参考リンク]
□橿原神宮