[瀬戸内海の猫の島にアイヌの気配が?(番外編)]
一回間を挟んだ上に時間も空いてしまいましたが、今回はこの話の続き。
もはやアイヌ要素の話は終わりましたけど、
大天狗神社のさらなる探索と、佐柳島中央部にある学校跡地のお話です。
一つの大きな目的であった神威の碑を発見した我々。
ただ、帰りのフェリーまではまだ少し時間があります。
とことでさらなる調査をするべく、この先にある奥ノ院に向かってみる事にしました。
奥ノ院への道はちょっとしたハイキングコースの様相。
所々開けた所に出るのですが、そこで目立つのは石で造られた碑や像の数々。
竹取の翁とか居るし。
前回からの天狗の像、神威の船首と来たところに加えてこの像。この辺りの石が加工に向いているのか分かりませんが、
ここまで来るとちょっとした石のテーマパークの様相を呈しています。
しかしどれも年月は経っているようで、中には崩れてしまっているものも。
奥ノ院の鳥居だったと思しきものも、土台を残して跡形も無く消えていました。
というか、困った事にここから先は道すらない。
これはもう奥ノ院自体が放棄されて到達不可能になっているのでは…
と思いきや、右側の藪に人が歩いたと思しき形跡が。
そうだね当然の様に進むよね。
写真は藪を抜けた後に撮ったものですけど、しばらくは完全に藪漕ぎをしておりました。
で、この藪を抜けた先に…
見えたっ!
道中不安でしたが、無事奥ノ院に到着。しかし…
年代こそそう古くはなさそうなものの、鳥居はロープのおかげでかろうじて立っている状況。
賽銭箱は破損、そして先ほどの場所から続いてたであろう道も崩壊しています。
道中にあった石細工の数々を見るに、かつてはそれなりの信仰を集めていたと思しきこの神社。
時代は流れて島民の減少も進む現在、最奥の祠はその姿を留めるのが精一杯と言うのが現状の様です。
ちなみにふもとの案内では絶景地と書かれていましたが、実際見てみますと
うん、まあかつては、と言うか木々の手入れがされていれば確かに絶景地かもしれない。
はい。という訳で大天狗神社の探索も終えて戻ってまいりました。
奥ノ院でのひと時は、どこか自分が違う世界に居るような気分にもなりましたが
ひとたび下に降りれば、自分がちゃんと猫の島に居る事が実感できます。
さてさて、降りてきたもののまだもう少し時間があります。
とことで今度は島の北側に向かって歩いていくことにしました。車を走らせる勇気はなかった。
八幡神社。先ほどの大天狗神社と並んで、佐柳島では割と大きめの神社です。
こちらの方が海沿いにある分参拝は楽で…って写真撮ってたらめっちゃ猫が寄って来てる!
その神社からさらに向かうと木製の大きめの建物が見えてきて
その先にあるのが今回もう一つの目的地、「喫茶ネコノシマ」です。
廃校になった小学校を利用して、昨年の8月にオープンした「ネコノシマホステル」に併設の喫茶店。
ホステルと共に、島に移住してきたご夫婦が切り盛りされています。
この喫茶店がオープンしたことにより、島へ旅行に来た際の飲食事情が劇的に良くなったそうです
(島内には自販機もないので飲食物の調達が難しい)
店内は元職員室。外を見ると青い海が。
外装も大きく手は加えられてないので、かつて小学校だった時の様子が見て取れます。
食事はカレー、食後にコーヒーを注文。美味しく頂きました。
そいやさっきのHPで見たんですけど、ここのコーヒー、島を結ぶフェリー会社が自家焙煎してるんですってね。
フェリー会社お手製のコーヒー…なんか珍しいものを頂いた気分になります(笑)
さて、腹ごしらえも済みましたし、さらに北へ向かって…
あ、フェリーだ。
あのフェリーは北側の長崎港フェリー乗り場で乗降を済ました後、すぐに折り返して南側の本浦港へやって来ます。
そう、すぐに。
そうだね慌てて本浦港に戻ったよね。
結果としてそこまで慌てる必要も無かったのですが、遅れたら2時間待ちなので…
長崎港から折り返してきたフェリーを待って乗り込みます。堂々の車乗船です。
とことで、さよなら佐柳島!
猫の島と言う一面が大きく宣伝されていますが、その一方で今回のような神社や、
また埋め墓といった独特の文化も残っており、その辺りの歴史を顧みながら探索するのも興味深い島かと思います。
またホステルの開業で宿泊も可能に、しかも元学校という建物に泊まれるようになったのは大きな変化。
機会があれば今度は私も泊まりに来たいものです。車は多度津に置いて。
以上、佐柳島でのお話でした。
[参考リンク]
□瀬戸内海の猫の島にアイヌの気配が?(前編)
□瀬戸内海の猫の島にアイヌの気配が?(後編)