[成ヶ島の成り立ちと大阪湾防衛の歴史見学]
ンマが流行っているという事で私もやってみようかと思い立ちまして。
ただPC版でやろうとすると結構スペックが必要らしく、この際パーツの換装をしようと思い立ちまして。
結果メインで使っているPCが動かんようになりまして。
色々調べながら「これはいよいよネットからオサラバする時が来たのか……」と思いましたが
何のことは無くてBIOSの更新をかけたら普通に動きましたね。知識が浅いってのはイヤですねえ。
とことで無事リニューアルされたPCからお送りする今回のお話は、知識の集まる博物館からお届けします。
やって来たのは神戸市立博物館。
ここでは2021年3月28日まで「大阪湾の防備と台場展」という特別展が行われています。
聞けばこの展示の中で前回訪れた成ヶ島に関する物もあるとのこと。
この点については本当に偶然だったのですが、随分とタイムリーな内容という事もあり今回見てきました。
【台場展・源平展にお越しの皆さま、ぜひ発信してください】
開催中の特別展「大阪湾の防備と台場展」・企画展「神戸源平巡り」に展示中の館蔵品について、2月19日(金)より撮影できるようにしました。写真をSNSなどで発信いただき、コロナ禍でお越しになれない皆さまにも展覧会を届けてください。 pic.twitter.com/nzt7YnnVTE— 神戸市立博物館 (@kobemuseum) February 17, 2021
ちなみに今回は一部を除き撮影OKになっておりましたので、あらかじめお伝えしておきます。
展示の主役は史跡指定100年を迎えた和田岬砲台です。
この砲台を築造する経緯となった諸外国の艦隊来航とそれに伴う大阪湾の防衛強化のなかで、成ヶ島が登場します。
1850年頃から1860年頃、大阪湾沿岸には次々と「台場」と呼ばれる軍事施設が建設されます。
特に湾の入口となる紀淡海峡には重点が置かれ、台場の場所を併記した海図が複数あります。
『大坂・兵庫・友島海図』
3地域の海図を一まとめにしたものです。
現在の大阪市、神戸市周辺の海図に続いて成ヶ島から友ヶ島、加太浦までを示した海図があります。
成ヶ島周辺のアップ。1862(文久2)年測量、翌年作成の海図ですが、既に“島”として描かれていることが分かります。
また北側の湾側には人家の記号があるので、この時点では島民が居たようですね。
『津名郡由良浦ヨリ紀州友ヶ島迄海程御仮図』
同じく1863(文久3)年作成の海図ですが、地形や水深などが詳細に描かれた海図です。
ズバリ、成ヶ島から友ヶ島までの記載があります。
成ヶ島部分のアップと、比較用にこの前頂いたパンフを。現在との違いがほとんど無く、測量の正確さが分かります。
南側の高崎台場については石垣のみが記載されています。
今では緑に覆われ、一部は護岸工事がされていますが、当時は海からそびえ立つ石垣が綺麗に見えたのかもしれません。
また成山大明神の記載もあります。
いまではすっかり廃社と化していますが、ランドマークとしても利用出来た時期があるという事ですね。
先ほどの石垣と共に、こちらも当時の様子が気になるスポットです。妄想がはかどる。
他にも外国船用の海図も展示されています。
大坂、神戸周辺に比べて紀淡海峡辺りの記載が多い事からも、同地域の重要性が分かります。
少し見難いですけど、Yura(由良)の文字も見えますね。
成ヶ島に関する資料はこんな所でした。
大阪湾の防備は江戸末期から明治維新、そして先の大戦が終わるまで整備されていきます。
この度の展示ではその黎明期の様子が伺い知れました。
展示内容は終始堅苦しいものではなく、砕けた表現での説明もあります。
また資料の端々から黎明期ならではのドタバタが垣間見えるので、その辺りも楽しめるかと。
最初に記載した通り、展示は今月28日まで。
近場のお出かけで見に行かれるのはいかがでしょうか?
ちなみに今回一番の収穫は
「絵画には徳川将軍を描く事を許されていないので代理に源頼朝が出てくる」
と言う知識です。このおかげで頼朝さんが神出鬼没。