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夜行列車の思い出 『寝台特急 なは』

前回は初めて乗った夜行列車の話をしましたが、お次は初めて乗った寝台列車の話を。

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初めて乗った寝台列車、それは『なは』です。

 

 

大阪~西鹿児島を結ぶ特急列車として運転を開始した『なは』。

列車の始発・終着駅でもない沖縄の地名が列車名となったことで当時も話題に上がったそうですが
それはまだ当時アメリカの統治下にあった沖縄の本土復帰を願って名付けられたものでした。

その『なは』も2004年には九州新幹線一部開業に伴い、運転区間が新大阪~熊本に短縮されました。

これで鹿児島にすら到達しない列車が『なは』を名乗ることに。
それでも結局名称変更はなく、関西から熊本、そこから九州新幹線を利用して鹿児島へと至る役割を果たす事になります。

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で、実は私が乗った『なは』は、その熊本行きとなった初便です。
開業初日の九州新幹線に乗車すべく、これに乗って九州入りを目指したんですね。

初めて乗る寝台列車、当然ウキウキで乗車した……

 

 

とは思うのですがどうして写真がないのか。

いやもう載せる写真ないよ!?発車案内とか入線した時の写真とかもっとあっても良くない!?

恐らく当時の私は後でサイトに旅行記を書くという事にあまり意識が向いてなかったのではないかと推測されます。
あとやっぱり、当時所持していたカメラだと夜間帯での撮影は性能的にどうしても難があったか。

まあもっともらしい理由を考えながら過ぎた話をしても仕方ないのですが、そのせいで今こうして20年後の私が何とか文章で埋めようと苦心しているのは事実ですので、20年前の私は大いに反省して頂きたいですね。

 

 

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これが唯一寝台内で撮った写真。

ここがまた一つ面白ポイントなのですが、この寝台は見ての通り開放B寝台の上段です。
この時上段しか空いてなかった訳でも無く、あえて上段を取っているんですよね。

その理由は「上段の方が車窓が綺麗に見えそうだから」。

 

そうだねこの寝台の上段に窓なんか無いよね。

 

乗った時にはあとの祭り。何も見えねえ。
しかもすぐに下段の乗客もやって来たので、そうそう動き回る訳にも行かなくなり……

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結局寝るしかなくなって、次撮った写真は翌朝大牟田についた時の一幕でした。

 

 

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見事に初乗車の洗礼を受けつつ、『なは』はこの日から切り替わった目的地、熊本に到着です。

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熊本からは『リレーつばめ』に乗って一路新幹線の居る新八代まで。

……は良いんだけど、だからここでどうしてここまで乗って来た『なは』の写真が無いんですかね??
今じゃ考えられない失態ですが、当時は新しい方が気になって仕方なかったんでしょう。

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その割には肝心の『つばめ』写真もほとんど見当たらないんですが。

まあこれに関しては開業当日という事もあって人が多かったですからね、あまり節操なく撮れないと言う事情もありました。
またいつドヤされるか分かりませんしねえ(すっかりトラウマ

 

 

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ちなみにこの日は鹿児島中央駅に着いた後、そのまま指宿枕崎線に乗りまして

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最果ての終着駅、枕崎駅まで行ってきました。

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これ以上先のない線路

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構内全体に漂う妙な解放感

 

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終着駅にふさわしい重厚な駅舎

どれをとっても最高の雰囲気です。ここまで来て本当に良かったと思いましたね。
この後色々あって2006年に駅ごと100mほど手前に移設され、今となってはこの光景が見られないのは本当に残念です。
許さんぞいわさき

 

 

と、何か気が付いたら枕崎駅の事を熱く書いてしまいましたが……全て20年前の私が悪いという事で一つ。
あとで叱っておきますので。

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ちなみに『なは』にはこの後も1~2回だったかな?乗る機会がありました。
2回目以降は最末期、『あかつき』と併結になってからの事になりますかね。

それで改めて見返してみると、九州方面の寝台列車は意外と複数回乗っていましたね。
当時の交遊関係的に、九州へ行く機会が比較的多かった事が要因でしょう。

ですので、次回は九州方面のブルートレインに乗った時の話をざっとしてみたいと思います。

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