【まえがき】
「まあ結婚して家庭持つくらいまでは続けてみるか」
と思って学生時代に立ち上げたこのサイトがこの度20周年を迎えました。
つまりはそういう事なんですけど。
さておき折角ここまで来たんだから何か振り返りでもしてみるかなと思い立ち、この記事を書いております。
いや結構乗ったと思うんですよね、夜行列車。
20年前にはそこそこの本数の夜行列車が走っていました。今となってはほぼ残っておりませんが……
ならば逆にもう新規記事の上がる可能性が低い話題はこれだろうという事で、この企画にしてみました。
最終回のオチも用意しやすいしな(金色のレスキューシートを見ながら)
とりあえず最低でも月1本ペースで書きたいというお気持ちはあります。
正直ンマとバーターです。負けが込みだすとンマにお熱になる可能性があるので、何卒よろしくお願いします。
「そもそもンマ止めたら?」と言うご意見はごもっともですがそれが出来たら苦労しないんや。
【本編】
過去の写真フォルダをひっくり返して一番初めに登場した夜行列車がこちら、『だいせん』。
日付は2004年3月27日、米子駅から大阪駅へ向けての乗車です。
米子駅に来た一番の理由は『リバイバル白兎』の撮影をしたかったからですね。
当時は大学1年生だったかな?こういった臨時列車の撮影に赴いたのはこの時が初めてだったように思います。
高校生までは意外と部活人間だったので、遠出はほぼしてなかったんですよね。
で、この時一番記憶に残ってるのは、サボを取ろうと前に出た瞬間、後に居たオジサンからバチクソ怒鳴られた事です。
そんな怒る事ある???
みたいな感情になりましたけど今思えばまあ……そう……そう言う事もあるよね……と言うお気持ちですね。
話を『だいせん』に戻します。
この時の『だいせん』は、元エーデル車のキハ65形2両で運行。
昔は客車列車で寝台もついていたそうですが、すっかり縮小された姿になっていました。
23:04に米子駅を出発します。
こちらもサボを撮りました。さすがに怒鳴り散らしてくるジジ……オジサンは居ませんでした。
何か写真が基本ブレてますが、この時の撮影技術はこんなものなのでご容赦を。フジのS5000で撮っていたらしい。
ちなみに行き先表示の下は(倉吉~米子間は快速列車)と小さく書かれています。
ですので、米子駅発車の時点では快速列車として案内されます。
実質倉吉方面への最終列車だったと思うのですが……乗り過ごしたらとんでもない事になりますね。
この『だいせん』は私が初めて乗った夜行列車でした。
このころの私は鉄道以外の移動手段をほぼ知らないピュアな青年でして
「寝て起きたら目的地に着くなんて、夜行列車とはなんと素晴らしい乗り物なんだ!!」
と思っていたものです。
しかし世間の風潮はそうではなかったようで、この頃は既に需要を夜行バス等に奪われていました。
実際乗客が居ない。
検札に来た車掌さんからも「そんなに乗ってないから座席向かい合わせにしても良いよ」と言われまして
こんなに便利な乗り物なのになんであんまり人乗ってないんだ……?と思ったものです(ピュア
で、初めて『だいせん』に乗った日からわずか7か月後の10月16日。
この日のダイヤ改正で『だいせん』はあえなく廃止となります。
折角だからと思ってその最終便に乗ったんですよ。
この日はさすがに多客想定で堂々の4両編成でした。そして乗客もさすがにこの日は
うん、まあそんなに居なかったんですよね。
今なら廃止列車の最終便指定席券なぞ争奪戦になる所ですが、この当時はまだこんなものでした。
そいや結局『だいせん』表記の発車標って撮った事無かったよな、と思って途中の鳥取駅で撮ったもの。
この列車は特急ではなく急行だったので、途中駅もこまめに止まり、終点までの所要時間も長めとなっていました。
昔ながらの夜行列車と言う印象が強いですね。
夜が明けて、列車はほぼ定刻通りに終点大阪駅に到着。
大阪駅では早朝にもかかわらず大勢の鉄道ファンがお出迎え……なんですけど
「そんなに気になるなら廃止にならないように乗ってくれよ!!」
と言う気持ちがこの時だいぶありましたね。なにせピュアだったので。
私が初めて乗った夜行列車『だいせん』。
時代の流れに伴い、そのわずか7か月後には姿を消してしまいました。
もうちょっと乗車機会が欲しかった列車ですね。というかもしも今復活したら多分普通に使うと思います。
やはり乗ってるうちに移動出来て朝着くのは便利ですし、列車ならバスほど窮屈じゃないので。
そういや最近丹鉄にエーデル車と似た形のキハ85が福知山線経由で入線したし……これを機会にどうですかね?(何を