[鉱山の街と一円電車]
前回のあらすじ。
山登りの後は温泉ですよね!
はい。そんな訳で雲海の竹田城址を拝んだ後、我々は野を越え山越え
養父市の明延地区までやってまいりました。
現在は時代の流れに伴い閉山となっていますが、昭和末期までは鉱山の街として栄えたこの地区。
比較的最近まで操業していた事もあり、当時の建物も一部残されています。
その建物群を利用した「一円電車まつり」が10月19日に開催されるとの事で、今回参加してまいりました。
実はこっちがメインだったんよね。既に体力ゴッソリ持っていかれてたけど。
メイン会場のふるさと交流広場に到着。ここでは地元名産品等利用した軽食が食べられるようになっています。
また最前にはミニステージもあり、ライブや催しが行われておりました。
ここでまず、実際使われていた坑道を探検するツアーに申込み。
ツアーは大盛況のようで、「今から1時間半後の組でご案内します」との事。
それではこの時間を利用して、もう一つのお目当てに行ってみましょう。
お目当て。鉱山が操業されていた時、鉱石を運ぶ為の鉄路がこの地に張り巡らされていました。
その鉄路で活躍していた車両がここで保存されています。
保存されているのは「しろがね号」と牽引用の電気機関車。あと少し離れた場所にもう一両、「くろがね号」が保存されております。
こちらがくろがね号。なんとこのくろがね号は動きます。動いております。
元来鉱石の運搬を担う為に敷設された明延鉱山の鉄路。
この鉄路は明延側の大仙選鉱場だけでなく、索道を通って山向こうの神子畑選鉱所へも伸びていました。
結果、山を越える事から人員輸送の需要も一定数あり、鉱石を運ぶ貨物の他、人員を運ぶ客車も製造されたのです。
このくろがね号は鉱山鉄道『明神電車』の客車として、先程のしろがね号等と共に利用されていました。
その後鉱山の衰退に伴って人員輸送は廃止され、そして鉱山の閉山と共に『明神電車』は廃線。
廃線時の車両は多数が静態保存されていますが、平成19年の「ふるさと明延まつり」において走行を前提とした仮軌道が設置。
以降くろがね号が動態保存車両として整備され、この仮軌道を走っています。
但し運行日は年に数回。本日は祭りということもあり、特別運行日となっていました。
一円電車への乗車は簡単。受付に行って切符を購入するだけ。
切符は当時のデザインを再現した硬券タイプ。額面も便宜的に1円となっており…
ではなく、本当に1円。1円出せばこの切符が購入できます。
但し「お釣りは無いからね!」と案内が。
1円が無い方は+αの寄付を兼ねる形で、5円や10円を支払って購入します。
かく言う私も1円玉が無かったので、5円玉で支払って購入しました。
なお1円玉含め切符購入に使われたお金は、将来の軌道延長を含めた一円電車の保存・活用活動に利用されます。
くろがね号の乗車定員は20人ほどなのでしばし順番待ち。
乗車の順番が回ってきました。早速乗り込みま…って狭い!
人が乗るとこんな感じ。
車高も小柄な人が直立できるか否か程度で、加えて車幅も狭いのでかなり窮屈。
まあ元々の用途を考えるとこれで十分だったのでしょう。
係員によって扉が閉まり、後方のディーゼルカーによる推進運転で明延鉱山駅を出発です。
駅を出た列車はまず大きくカーブし、そこから明延の中心部へ…
向かうことなくここで終了。ざっと100mくらいでしょうか。
しかも大きくカーブしてる(=全然前には進んでいない)ので、辺りの景色もほぼ変わらず。
…うん、これは色んな意味で将来の軌道延伸を応援したいですな。
車止め手前まで進んだ列車はそのまま引き返し、明延鉱山駅に帰還。往復で2分ほどの旅でした。
しかしながら、ここに昔鉄道が走っていたという事を表現するには一番インパクトがある動態保存。
短い距離とは言え、脱線しないよう軌道を整備し、そして車両も動くように整備するのは大変だったと思います。
と言いつつも先程書いたとおり「ここからもっと延伸を!」と思ったのも乗車後の感想だったり。
噂によればサザエさんのオープニングで登場して以降少しずつ認知度が高まってきているそうで。
実際今回の祭りでは盛況でしたし、今後この調子で行けばひょっとする…かも?
とことで、明延鉱山の一円電車体験乗車のお話でした。
坑道の話はまた次回に。一円電車が実際どんな所を走っていたかも見えてきます。
[参考リンク]
□「一円電車募金」にご協力お願いします ~一円電車に夢をのせて~ 鉱石の道 明延実行委員会
□鉱山の中の一円電車