[鉱山の中の一円電車]
前回のあらすじ。
しかしこれもあくまで時間潰し。今回のメインイベントはこちら!
…
いや、なんか違うな…
はい、メインはこちらですね。
年代物のバスに揺られて5分ほど、先程予約しておいた探検坑道の入口へとやってきました。
ヘルメットを装着して早速中へ。まずは案内人さんによる坑道の案内があります。
これは坑道内で行動できるよう、目を慣らす時間も兼ねているとか。
そして下に目をやると軌道跡。この先、この軌道が縦横無尽に張り巡らされている様子を目の当たりにする事となります。
坑道ですので奥に進めば当然通路も分かれていきます。
これに合わせて軌道もきっちりポイント分岐。仕組みも地上にある通常のポイントと同じだった様子。
さらに奥へ行くと採掘箇所である所の少し広いスペースに出ますが、ここも軌道がしっかりカバー。
奥のほうでは平行クロスしている箇所がありますが、ここではトロッコ自体を浮かせてそのまま90度転換していたと説明がありました。
さらに先へと進みます。所々枕木のようなものも見えました。
途中からは実際に坑内で使われていた道具の展示もされていました。
ここでも軌道は存在感をアピール。
そしていよいよ軌道の上を走っていた車両たちの展示も。
体験乗車した一円電車よりもさらに作業車然とした形。
ちなみに先頭の機関車は無線でコントロールしていたとの事です。
こちらはパトロールカーと言う事で、人が乗れるようになっています。
この先も網の目のように坑道は分岐していましたが、軌道もしっかり着いて行きます。
しっかりしたポイントもあって敷設も大変だっただろうと思うのですが、それでも採掘に見合った設備投資だったのでしょう。
最後に大型機械の展示と、この坑道で上下に移動する唯一の手段であったエレベーターの案内が。
エレベーター自体はここ以外にも何箇所かあるそうなのですが、現在見られるのはここだけ。そしてここで一つの質問が。
参加者「この重機、どう見てもこのエレベーターには乗りそうに無いんですけど…」
案内人「まず乗せられる大きさにまで切断して乗せます。そして着いた先で溶接して使ってました」
マジか…それくらいの労力も惜しまれないなら軌道の敷設も造作なかったのかな…
なおこのエレベーターの下は東京スカイツリーがすっぽり収まる深さの穴が開いているそうで。落ちたら死ぬとか言う次元ではない。
スペランカーさんなら一発ゲームオーバーやで…
とことで明延鉱山の探検坑道でした。
案内人さんの貴重な話と、終始目に付いた軌道や車両群のおかげでとても楽しかったです。
…感想が貧困でございますがさておき。
外に出まして入口付近に戻ってきますと、先程の入口部分から外部へ向けて軌道が延びています。
果たしてこの軌道はどこへ向かって伸びていたのか…
例えばこんな所かな?
と言う事で先程から場所を移動しまして、やってきたのはインクライン跡。
鉱山から出てきたトロッコは手前の軌道を通って奥の施設(今は只の広場になっていますが)に集められます。
そして奥にあるケーブルカー状のインクラインに乗せられ、上にあった大仙選鉱場の駅へと運ばれていました。
手前の広場と同様、最近まで上にも鉄道関連の施設を含めた建物が残っていたそうですが…残念ながら今は見る影もありません。
かろうじて往時の様子を窺い知れるのが、この一番手前にある踏切の跡。
保存してあるのか、放置してあるのかは分かりませんが…昔ここに鉄路が通っていた事を証明するには十分です。
さてさて。昔この上には鉄道施設があったと言う事を先程説明しましたが、ではその鉄路はどこへ伸びていたかと言いますと…
ここまで伸びておりました。
と、簡単に書いてみましたがここは明延から山ひとつ越えた神子畑地区。
案内板にあるとおり、養父市となりの朝来市までやってきております。
この神子畑選鉱場、案内板で見る限りは先程と違って立派に建物が残されているように見えますが
現実は厳しい。
老朽化著しいと言う事もあり、こちらも最近になって全て撤去されてしまっています。
先程の大仙選鉱場にて鉱石を満載にしたトロッコは、山を突っ切ってこの神子畑選鉱場へとやってきます。
そしてここで鉱石をパージ。
選鉱場内へと放り込まれた鉱石は、比重の違いを利用して、この斜面を下りながら金属ごとに振り分けられました。
そして振り分けられずに残った鉱石はまた運び出さないといけないわけで、選鉱場の下にも軌道はありました。
ここは平行クロス部分。中央に転車台が設けられており、ここではトロッコを浮かすことなく方向転換が出来たそうです。
またここでも明延同様に、一円電車の客車が保存されています。
一円電車まつりの最中だった明延とは違ってひっそりと佇んでいましたが、その分ゆっくり見ることが出来ました。
状態もよさそうだし、叶うならくろがね号と2両つなげて運転とか出来るようになれば良いですね。
ところで一円電車の客車の名前って「わかば」「あおば」「くろがね」だったんですね。
まあなんとも気になると言うか何と言うか…「がね」を「しお」に変えて…アカンか。完全に海だもんな。
閑話休題。神子畑選鉱場は今でこそ大本の建物は無くなってしまいましたが、シックナー等一部設備は現存しています。
しかもどう見ても閉鎖時点から時が止まったような感じで残っており、廃墟ファンにとっては中々見所ある場所かも?
また近くには、日本初の本鋳鉄橋である神子畑鋳鉄橋があります。
こうした橋が架かるほど、当時の鉱山開発は日本の未来を背負っていた事が窺い知れる文化財です。
しかしこの立派な橋も、現在では殆ど様を為していないという現実がまた寂しくもあり。
と言う事で明延鉱山と一円電車のお話でした。
縦横無尽に走る軌道をはじめ、大掛かりな設備群は鉱山事業が最も栄えていた時代を今に伝えます。
しかし現在では閉山となり、人が去ってしまった街に残されたこれらの設備は、徐々に朽ちて消えていこうとしています。
その中で一円電車まつりの様な催しは、過去にこの場所が鉱山で栄えた事を伝える良い手段です。
苦労も多いと思いますが、今後も末永く続けて欲しいものですね。
そして一円電車の軌道を再び神子畑まで延伸させ…るのはさすがに無理か。
山突っ切ってるから意外と便利だと思うんだけどな。
[参考リンク]
□鉱石の道明延実行委員会
□鉱山の街と一円電車