[沈む駅、沈む温泉街]
たまにはタイムリーな話題でも。
…いやまあ、この記事自体が今年初めに書こうとして頓挫してた奴なんですが。
とことで時は2013年12月31日。C85最終日と言うことで、東京へ向かうつもりでいたのですが…
気がついたら完璧に吾妻線乗り潰しへと、目的が切り替わっておりました。
いやー、ちょっとくらい寄り道しても間に合うかなーと思ったんですけどね。
結論から言うとね、結局東京着いたの18時台だったよね。
まあそんな事はさておき。今回はその道中、川原湯温泉駅で途中下車したときのお話です。
高崎駅から川原湯温泉駅まで乗車したのは特急『草津』。
吾妻線は温泉への玄関口になる駅が多く、年末年始と言うこともあってか車内はかなりの混雑でした。
結局ほぼ全ての区間をデッキで過ごす事1時間、今回の目的地である川原湯温泉に到着です。
この川原湯温泉駅も、温泉郷への玄関口と言う事で特急が停車するのですが
列車が去ったあとの構内はご覧の通り。うら寂しい雰囲気が漂っています。
そしてその後方には、この雰囲気とはアンバランスな、大きな橋がそびえ立っていました。
この駅の駅舎は、吾妻線では唯一となる木造駅舎。
内装か対面ホームの待合室に至るまでほとんど手が加えられておらず、まるで時が止まっているかのようです。
それもそのはずで、この駅舎は間もなく役割を終えます。
この一帯は、現在建設が進んでいる八ッ場ダムの影響を受ける事になっています。
その為9月24日で現駅は営業を終了。その後10月1日より、川原湯温泉駅はここから少し離れた新駅へと移ります。
そしてこの背後の高架橋が本来の役割を果たす頃、現在の駅舎は、ダム湖の底へと沈む予定となっています。
駅待合室には川原湯温泉の案内がある一方、ダムについての記載も一部あります。
そうこうして写真を撮っているうちに、駅員さんから川原湯温泉のパンフレットを頂きました。
「幻となる前に…」
のキャッチフレーズが強烈。
しかしそのフレーズは的を射ており。
これは駅前の風景なのですが、殆どの建物が基礎のみを残して消えていました。
駅から温泉街へ続く道も写真の通り。このまま修復もされず、最期を迎えそうです。
川原湯温泉の入口。こちらは綺麗に手入れされています。
しかし中々建物は見えてこず。代わりに見えてくるのは…
延々広がる廃墟。
駅前での光景と同様、基礎のみが残された建物跡が次々と見えてきます。
よく見ると浴槽の形をしていたりするところを見ると、温泉宿の跡地である事が良く分かります。
そんな道のりも、上の方まで登ると営業している建物が何件かありました。
その中で今回立ち寄ったのは、共同浴場の「王湯」。昔ながらの浴場で、落ち着いた雰囲気が漂います。
温泉も掛け流しで良質。そして露天風呂から見える光景は…やっぱり廃墟。
なおこの時立ち寄った「王湯」も現在は閉館となり、建物移動の上で新しい「王湯」がオープンしています。
さて、ここよりもさらに上へ登ると、ダム湖完成後の代替地区域へと入ってきます。
その中でまず見えてくるのが、川原湯温泉の新湯源泉。
実のところ、従来の源泉の泉質と若干成分が違うとか言われていたり、いなかったり…
さらに上へ登ると、ダム完成後にはメインルートとなる道路の建設が進んでいました。
そしてその眼下には、真新しい線路が敷設されています。
この線路は隣の岩島駅から分岐する、吾妻線の新線と繋がっています。
10月1日以降はこちらの線路に切り替わり、新線での営業が開始されます。
その新線で営業が開始される、新しい川原湯温泉駅がこちら。
現在の駅舎とは打って変わって、いかにも現代的なスタイルの建物へと生まれ変わります。
このとき散策したのはここまで。後はもと来た道を戻り、現行の川原湯温泉に帰着。
そこから数少ない大前行きの列車に乗り込み、大前駅へ向かったのでした。
それにしてもこの時の散策で印象的だったのは、やはり延々と続く旅館の廃墟跡でしょうか。
時の政権の方針で、一時期ダム建設中止という話もありましたが、正直あの状態で止まるとどうなっていたか…
鉄道ファンの視点からしても、途中に存在する「日本一短いトンネル」樽沢トンネルが用途廃止になる他、
この風情ある木造駅舎も過去のものとなってしまうなど、惜しむべき点は多くあります。
しかしながら間違いなく言えるのは、中途半端な状態でとどまる事が一番不幸であるという事。
ともすれば、今回の吾妻線新線切替は大きな進展の一つ。
今後は新しい川原湯温泉駅を中心に、また賑やかな温泉街が戻ってくることを期待したいものです。
とことで、今回は少し遡って、川原湯温泉へ行って来た時のお話でした。
[参考リンク]
□川原湯温泉駅 ずっと記憶に 八ッ場ダムに水没 24日で終業、移転
□川原湯温泉協会
□八ッ場ダム工事事務所