前回は初めて乗ったブルートレインと言う事で『なは』のお話をしました。
それで九州方面のブルートレインに関してはこれ以降も数回の乗車機会があります。
2000年代後半の話ですが、この時期の交遊関係的に九州へ行くことが多かったんですよね。
と言った所で、今回は九州方面ブルートレインの写真でも見返してみましょう。
まず初めは2005年2月27日、場所は尼崎駅です。
「尼崎駅なんかに天下のブルートレインが止まる訳なかろう!」
と言うご意見が当然出てくると思うのですが、この日は尼崎に臨時停車しております。
大阪駅がホームの改修の影響で停車できなかったことによる、代替措置ですね。
本来なら終電も終わっているはずの尼崎駅4番ホームにやって来たのは『さくら・はやぶさ』です。
当時の持てる撮影技術で一所懸命撮ってるんです許してください。
2000年代後半、ブルートレインは衰退期に入っており、この様に2列車が併結して運行されるケースが増えました。
東京駅から併結でやってきた『さくら・はやぶさ』。
この後鳥栖駅まで併結して走り、鳥栖からは『はやぶさ』が熊本へ、『さくら』は長崎へと向かう運用となっていました。
深夜1時20分頃に尼崎駅を発車。
今回はちゃんと寝台内で写真を撮っており、また外が見える下段を取っているあたりに前回からの進歩を感じます。
なんなら併結部まで行って両列車のテールマークまで撮影しております。素晴らしい成果です。
列車は鳥栖に到着。ここで分割作業が行われることになりますが
これがすっかり一大イベントに。前で撮るのは難しかったですね。
分割が終わった『さくら』は一足先に長崎へ向けて出発。
この時の私は『はやぶさ』に乗っていましたので、そのまま熊本へと向かいました。
「それにしてもこの分割時の熱気と言うかお名残り感があまりにも強いのでは?」
と思った人はご明察。この2日後の3月1日が『さくら』廃止の日でした。
その時の様子がこちら。2日間熊本に滞在し、その足で鳥栖駅まで見に行っています。
この日の『さくら』は運用上の都合で鳥栖止まり。この駅が同列車終焉の地となりました。
『さくら』廃止後、『はやぶさ』は新たに『富士』との併結運転を開始。いわゆる『富士ぶさ』の始まりです。
この『はやぶさ・富士』になってからも一度乗車していますが、その話はまた後程。
ところでこうして写真を見返しておりますが、『さくら』単体のヘッドマークが見当たらないのはどういう事ですかね?
よく分からない人混みの写真を撮るくらいなら、ヘッドマーク撮りに行った方が良かったのでは……
2006年9月3日。今度はちゃんと大阪駅です。EF66牽引の『なは・あかつき』が入線してきました。
運転区間が熊本までに短縮された『なは』。
前回乗車時はまだ単独運転でしたが、その翌年からは『あかつき』との併結運転となりました。
こちらは始発の京都から鳥栖までが併結運転となり、『なは』は熊本、そして『あかつき』は長崎へと向かいます。
この時乗ったのは『あかつき』の方で、終点の長崎まで乗車しています。
『あかつき』の特徴だったレガートシートとテールマーク。
レガートシートは3列夜行バスのような座席配置。
それを普通車指定席として設定し、少しでも安く夜行列車を利用できるよう考えられた意欲的な車両でした。
前に移動して機関車の写真を……ってここ単独区間なのにヘッドマークは『なは・あかつき』仕様だな。
さっきの『さくら・はやぶさ』も同じだったのかもしれない。だから撮ってない……んだろうな多分。なんもわからん!
新幹線開業に伴い今では立派な効果駅になった長崎駅も、当然ながらこの時は地上駅です。
ずらりと並んだ車止めが最末端のターミナル駅と言った風情で、好きな駅の一つでしたね。
なお『なは・あかつき』にはまた別に乗車機会がありまして、これは関西方面へ帰るときに利用したものです。
意外にも帰路で寝台列車を利用することはあまりなかったんですよね。
上りはなかよく京都行き。西日本所属の車両は幕が西日本仕様に変わっているものもありました。
そしてやはり鳥栖駅での併結は一大イベント。
この作業のなにがそこまで人を惹きつけるのか……
と言いたいところですが、このときの乗車日が2007年12月。
既に次回ダイヤ改正で『なは・あかつき』も廃止がほぼ確実視されていた状況でした。
現に一部車両はご覧の様な状態。「限界まで頑張りました!」と言わんばかりの姿で最晩年を駆け抜けました。
私もその廃止の予感を察していたこともあり、この時は終点の京都まで乗車しています。
乗客を降ろし終えて留置線へ引き上げる『なは・あかつき』。
同列車は大方の予想通り、2008年3月のダイヤ改正で廃止となりました。
2008年12月。大阪駅。
『なは・あかつき』亡き後に残された希望は、先ほども少しお話した『はやぶさ・富士』でした。
しかしこちらも車両老朽化、乗客減少の憂き目には勝てず風前の灯火。
いよいよ正式に廃止が決まる前にもう一度乗ろうと思ったのが、この時の乗車でした。
目的が目的なのでこの時は結構ちゃんと記録を撮ってますね。動画まである。
画質がアレなのはまあ15年も前の話なのでさすがに仕方がないという事で……
この時乗ったのはB寝台の個室。個室を取ったのはこの時が最初で最後だったような気がします。
『はやぶさ・富士』は門司駅で分割。やはり人でごったがえす。
もうこの時期は少しでもブルトレの思い出を残そうという人たちで完全に過熱気味でしたね。
分割が終わり、まず『はやぶさ』が熊本へ、そして『富士』は大分に向けて出発となります。
しかしこの両列車に関しては、分割後両方とも単独のヘッドマークに変わってたんだよな……
分割してからもそこそこの距離を走るからでしょうか?
この時私は『富士』に乗っていましたので、そのまま終点の大分まで行きました。
最後もちゃんと動画とってて偉いね。なお画質(
大分駅も今では立派な高架駅ですが、この時は高架前。
やはり15年も歳月が経つと、各駅も大きく様変わりしている事が多いですねえ。
ちなみに東京へ向かう『富士』の表記はこちら。「日豊線経由・東京」と言う表示がいかにも長距離列車らしい。
最後の九州方面長距離列車『はやぶさ・富士』も2009年3月で廃止。
これにて九州方面ブルートレインの歴史に終止符が打たれたのでした。
とまああらためて振り返ってみて思いましたが、割と乗りましたね。
しかし乗った割には全然写真ないですね!!!
特に車内写真。
いや確かに開放B寝台メインで周りの人の目もあるとは言え、もう少し色んな場所を撮っておけば……と思いました。
そんな私でも雰囲気あり過ぎて思わずそのまま撮らせてもらった貴重な車内写真。
通路の補助いすに腰かけてタバコを一服。
こんな光景がつい15年ほど前まではあったと思うと何だか不思議な感じがします。
とことで九州方面ブルートレインの話はここまで。
次回はこのままブルートレインの話か、それとも九州繋がりで『ムーンライト九州』の話をするか、と言った所ですね。