「本黒田駅の駅舎も無くなったらしいで」
!?
いやこの前……って言っても気が付いたら8か月経ってますけど、普通にありましたよ?
そんなまさか、と言う気持ちで確認しに行ってみると
あらへんがな。
なんやったら時間経ちすぎて次の構造物建っとるがな。
劇的ビフォーアフター。匠の技によりメンテナンスフリーの適当素敵な構造物に生まれ変わりましたね!
言うてる場合やありません。やはり時の経過と共に変わりゆくものは多々あります。
ただこの状況下であまり思い切った動きは相変わらずやりにくい……
ひとまず、地元の兵庫県で現状一番古い駅舎を写真に納めるべく出掛けてきました。今回はその時のお話です。
やって来たのは姫路駅。
普段ですと山陽本線の乗換に使う駅ですが、今日はこの赤い103系、播但線に乗り込みます。
そして10分程度で下車。降り立ったのは仁豊野駅です。
降りたホームで早速確認できるのは年季の入った待合所。
確認すると昭和18年1月との表記。そこそこ古いですけど、これではないです。
跨線橋を渡って改札外へ。駅舎はやはり年季の入った木造駅舎です。
こちら確認すると昭和3年10月の表記が。
これが一番古い……と思わせてとおいて実はこの駅ではないという。
ところでこういう駅だとすっかり無人化されてしまって窓口が埋められている、と言うケースも多いのですが。
この仁豊野駅は有人駅で、窓口も生きています。姫路市街からも近いですしね。
ちなみにこの仁豊野駅が今回の目標ではないならなぜここで降りたのかと言う話ですが
「いやここも年季入った木造駅舎だったから」
これだね。これに尽きますね。
折角だし撮れるものは撮っていかないとね。
さてそれでは結局目的の駅はどこか?という事ですが、これは今居る仁豊野駅の隣駅、香呂駅になります。
ここで30分ほど待てば次の列車がやって来ますが、隣駅なので歩いても30分弱。
折角の機会ですし、ここはひとつ香呂駅まで歩いてみる事にしました。
これがまあ見事に悪い方向に行きまして。
いやこの時点でまだ10時過ぎだったんです。10時過ぎなら気温も30℃行ってないかなと思っていたんです。
でも実際には10時過ぎの時点で30℃を余裕で越えていたんです。
なお、この日この辺りの最高気温は37.9℃でした。ホンマ8月後半からの暑さは異常やで……
歩いてよかったのは途中良い感じの写真が1枚撮れたくらい。あとはひたすら灼熱地獄でした。
香呂駅へ着く頃には、シャツの色が汗で完全に変わっておりましたね……
色々ありましたが、香呂駅到着。
疲れた……と言うか完全に全身汗まみれでちょっとした不審者です。
とりあえず汗を何とかしてから駅舎見学。
明治27年8月。これですよこれ。これが県内で一番古い駅舎の証です。
駅舎内の様子。先ほどの仁豊野駅と同様、有人駅で窓口も生きています。
明治生まれの駅舎ではありますが、
いかにも古めかしい雰囲気と言うより、その時々の改修が施されて今も現役バリバリで使われているという印象ですね。
なおこの香呂駅、地味に来駅記念グッズがあります。
無料で貰えるので私も一枚貰っておきました。
しかしこれ、絵柄のバリエーションが妙に多くてですね……コンプリートは至難の業かもしれない。
さてこれで今回の目標達成と言った所ですが、実は香呂駅より先にも古めの木造駅舎がいくつかありまして。
あまりない機会なので、今回は他の駅舎も訪れてみる事にしました。
福崎行の列車に乗車。
1駅進んでやって来たのは溝口駅です。
どうやら最近修繕されたようで、綺麗な駅舎ですね。
昭和5年4月という事で、先ほどの香呂駅には及びませんが古い駅舎です。
駅舎の修繕にあわせてか、周囲の道も整備されていました。
ロータリーが後付けのせいか、駅の出入口と垂直に配置されてますけど……まあこれも駅舎の歴史が長い証拠ですな。
ちなみにこの駅、平成に入って反対ホームにも駅舎が作られています。その差86歳。
ここからはさらに北上、一気に福崎を超えて鶴居駅に到着です。
この鶴居駅も年季の入った待合室、そして駅舎が出迎えてくれます。
なんでも知ってるWikipediaさんによると、ここも先ほどの香呂駅に並んで県内最古の駅舎という事ですが……
肝心の建物財産標が見当たらない。
いや後付けのどうでも良い雨よけとかにはあったんですけど、駅舎に取り付けられているのはありませんでした。
あれが無かったら一番古いかどうか確認でけへんやないか……
駅舎入口の雰囲気なんかを見ると年季が入っているのは明らかですけど……はてさて。
ちなみに駅舎内はこんな感じ。
主要駅の福崎を過ぎ、利用者も少なくなるせいかここは無人駅です。
構造はあまり変わらないのですが、先ほどまでの駅と違い一気に活気がなくなって寂しい感じになりますね。
駅前の様子。これまた先ほど前での駅と違って時が止まったような感じ。
ただその中にも人の営みはちゃんと感じられるのがポイント高いですね。良い雰囲気です。
さてここからは1駅戻ります。
こういう小刻みな動きを取るときは切符の購入が手間になるのですが、この播但線は途中寺前駅までICOCAが対応。
カード1枚で入場と出場が容易にできるので、今回は大変助かりました。
乗るのはもちろん赤い103系。この区間に居ると103系の数が急速に減っているとか言われても信じがたくなるな。
今回最後の目的地はここ、甘地駅です。
香呂駅などと同じ作りをしていますが、表記は昭和3年4月。昭和生まれの新しい駅ですね(?
駅横の駐輪場(?)には通学用の自転車がビッシリと。利用者はそれなりに多そうです。
その為かこちらは有人駅となっており、窓口で切符の購入も出来ました。
やはり駅舎の古い新しいにかかわらず、窓口に人が居る方が良いですね。
ところで、この駅には先ほどご覧頂いた駐輪場の反対側に顕彰碑があります。
横の解説文を読む限り、この内藤利八さんの尽力によって明治27年にこの路線が開通したと。
ですから今回訪れた香呂駅や、あと恐らくは鶴居駅も開業当時からの駅舎が使われているという事ですね。
しかしまあ『県内最古の駅舎』と簡単には言いますけど、ここまで変わらず残るのは凄い事ですよね。
まずもって開業がそれなりに早くないといけない。
となると、古くからそれなりに人が居る所でないとそれが成り立たない。
しかしながら鉄道と共に街がみるみるうちに発展すると、これはこれで駅舎建て替えの話が出てきますよね。
高架化とか橋上駅化とか。先日惜しまれつつ閉鎖された原宿駅の駅舎もこの部類になるかと思います。
一方で時代の流れと共に鉄路、あるいは街自体が寂れてしまうとこれまたコスト削減の名目で
これが
こんな感じになっちゃう……ってか久下村駅までこんな事になってるとか知りませんでしたけど!?
さておき。以上の事を考えると
『古くからそれなりに発展している街ではあるけど、現状そこまで大きくはなってない』
『かといって極端に寂れているわけでもない』
という絶妙なラインを維持しているからこその産物となるわけですよ。いやあ見事なものです。
……と書いてしまうと、なんだか褒めてるのかどうなのか微妙な感じになってしまいますけど。
とかく鉄道趣味を持つ私としては、この駅舎たちがこの先も残ってくれると単純に嬉しいですよね。
手入れは大変だと思いますけど、その分地元の方々が愛着をもってこの駅舎を見守って頂けたらなあと思う次第です。